新河岸川は、寛永十五年(1638)に川越城下に大火があって、東照宮が焼失し再建資材を江戸から運んだ時が舟運の始まりで、本格的には信綱が藩主のとき川越五河岸(上、下新河岸、扇、寺尾、牛子)が開設され年貢米輸送の主要な任務としていたそうです。
舟運は幕末から明治初期にかけて全盛で、その後鉄道の開通で衰退し、また川の水量も減少して舟運は終わりを告げました。
近年台風等の豪雨により流域が甚大な洪水被害にあったことから重点的に河川改修が行われています。
年々川の様相も大きく変わりつつありますが、まだ流域には自然が残され、四季を通じて散策する人の眼を楽しませてくれます。
2006年5月 7日